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泥流地帯
三浦綾子
(自宅読書会2010年12月課題)
泥流地帯 (新潮文庫)

概要

大正期の北海道上富良野に暮らす小作農一家の話。

感想

物語は、主人公の石村耕作が尋常小学校の低学年の頃から始まる。耕作には兄の拓一と姉の富、そして妹の良子がいる。四人きょうだいの父は、数年前に事故で亡くなった。母は父の死後しばらくしてから髪結いになるために旭川で修行している。四人は祖父母と共に暮らしている。
とにかく貧しい。大正期の小作農はこんなだったのだろうか? 白いご飯も食べられず、麦が混じったものを食べ弁当にも持って行く。給食もなかった時代。
貧しいけれど、清らかで力強い「これぞ日本人!」と膝を打ちたいような石村家の生活。
「じっちゃん」と呼ばれる祖父の市三郎は、病気や捻挫などに効く自家製の薬を作っている。みんなの役に立つようにいつも心を砕く。
「寝ながら人を起こすな」という「じっちゃん」の言葉が印象に残った。「じっちゃん」はえらそうに家族に説教するわけでなく、自分が寝てるのに、人を起こすようなことはしたくないということを耕作たちに漏らす。
深雪楼という料亭プラス女郎屋を営み高利貸しをしている深城が、怒鳴り込みに来たときも、耕作たちの母親を愚弄したときも、じっちゃんは決して声を荒げたり、慌てたりすることはない。常に穏やで、公正に非のあるところは詫び、詫びながらも卑屈などには決してならず、堂々と深城の方の行き過ぎもきちんと言及する。
いくら貧しくても心まで貧しくはならない市三郎の生き様が素晴らしい。
耕作は学業優秀だ。けれども中学へ進学する経済的な余裕はない。それでも、兄の拓一が造材所で働き(冬の間)そのお金で耕作を中学へ行かせようとする。
電気もない家でランプの灯の元、夜遅くまで受験勉強に励む耕作。読みながら、私たちはなんと恵まれた環境にいるんだろうと申し訳ない気分になった。
姉の富が結婚するときも、披露宴などとは呼べないような粗末さ。
それでも幸せに輝く笑顔で嫁いでいく富。
朝から晩まで働いても、暮らしぶりはほとんどよくならない。それを耕作は不公平だと感じる。市街に住んでいる人たちは、自分たちほど働いているわけでもないのに、毎日、白いご飯を食べている。
どんなに不公平であろうと、それでも正直に真面目に生きていくという姿勢を祖父も拓一も見失うことがない。
あまりに欲がなさ過ぎる気もするが、人間性の気高さとは、そういうものなのだろう。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、(飢えるところまでは石村家は貧しくはないが)人間の真価というものは、貧しく不十分ばかりの生活の中で際だつのかもしれない。
父の博打の借金のかたに女郎屋に売られても、父親を恨まない娘。
少ない小遣いしかないのに、お金を落としてしまった耕作に友だちみんながカンパする。
「しかられるからやらない」のじゃなくて、「やらないことが正しいと信じているからやらない」と言う耕作の友だち。
「泥流地帯」の中には、人を思いやり、やらなければいけないことをしっかりやり、自分が信じる生き方を貫く人たちが描かれていた。
流されず、逆らわず、まっすぐに生きる姿に心打たれた。
物語は十勝岳が爆発した大正15年で終わる。
自分でも不思議なくらい悲しく辛い場面で泣かなかったのに、思いがけないところで泣いてしまった。
ネタバレになってしまうが、高等小学校の担任だった先生が、泥流の犠牲にならなかった耕作を見て、無事を喜んだところだ。
その先生は、耕作をずっと目の敵にしてきたから、耕作も先生のことをよく思ってはいなかった。
このとき耕作ははじめて先生のことを「恩師」だと感じる。
大災害が起こって、次々に家族を失うというのは悲しみや嘆きが大きすぎて、読者はただ圧倒されるだけなのかもしれない。
だから、その後のやや日常に戻りかけたような一場面でやっとこみあげることができたのだろうか。
「泥流地帯」は続編がある。
是非とも読んでみたい。

続泥流地帯
三浦綾子
概要
十勝岳爆発後の石村家。復興を目指す拓一と迷いや無駄骨と感じながら兄を手伝う耕作。静かに見守る母、佐枝。

読書会の日、「泥流地帯」を課題に選んだ島本さんが「続泥流地帯」の文庫本を持ってきてくれた。
それを借りて、毎晩、眠る前に読んだ。
ベッドに行くとき「拓一に逢える♪」と「恋」みたいな弾む気持ちで文庫本を毎晩、開いた。
泥流に流される祖父母、妹の良子を助けるために、一瞬の迷いもなく泥流に飛び込んだ拓一だったが、祖父母や妹を助けることはできなかった。でも、拓一は九死に一生を得、助かった。
泥流に飲み込まれる三人を見ながらうろたえるばかりだった耕作は、潔く泥流に飛び込む拓一を目の当たりにして、兄には叶わないと思う。
そんな「泥流地帯」の続編は、残された拓一、耕作兄弟とやっと帰ってきた母、佐枝の三人が住まいを三重団体が住んでいた村に家を借りて移り住むところから始まる。
流木だらけで、硫黄を含んだ土地を水田にして、ちゃんと食べられる米を収穫するのが拓一の目標だ。
でも、そんなことは到底無理だと決めてかかり、復興に反対する町の人たちが大勢いる。
嫌がらせや、やる気をくじかせる言動にめげることなく拓一は己の信じる道を黙々と進む。
もし、三年やって米が実らなかったら、諦める、若いときに無駄骨だった三年があってもいいと思う、と拓一は揺るぎない信念を持っている。
復興を目指すのは拓一だけではない。吉田村長も同じだ。村長も家に石を投げられたり、道で「泥棒村長」と罵られ続けられたりと嫌がらせを受ける。
けれど、少しもくじけない。
また、深雪楼の娘、節子が継母とともに身を寄せた旭川の医院の沼崎先生もすばらしい。
沼崎先生は、どんな人に対しても丁寧で態度が少しも変わらない。
自分の心にいつも損得勘定が出てくる私には、これらの登場人物のようになりたい、なれたらなと願わずにはいられなかった。
どんなに一生懸命働いて生きても、泥流に流され、今まで耕してきた畑も台無しになり、家族を失い……どうしてこんな目に合わなければならないんだと耕作は思い続ける。だが、それは因果応報でもなんでもなく、そういう不幸な事故や事件はしばしば起こることと次第に受け容れる。
悲惨な目に合うのは、呪われているからでも、何か間違ったことをしたからでもない。
昔、映画「フォレスト・ガンプ」で「It happens」という言葉が出てきた。そして、バンパーステッカー「Shit Happens」というのが流行ったと。「Shit」つまり「クソみたいなこと」は「起こる」んだということ。
理由なく、たまたま起こることなんだ。
亡くなった私の祖母は呆けかけのとき「なんで私、何も悪いことしてないのに、こんなことになるんやろ」とつぶやいていたらしい。病気になったときも「なぜ? 私が?」と思ってしまう。
けれど、それは、今までの行いや先祖の呪いなんかとは何も関係ない(まあ、日常生活や食生活なんかが病気の要因になることはあるけれど)。
酷いことが起こる理由はともかく、どんなことが起ころうと自分は自分らしく生きる、そういうことを泥流地帯は教えてくれた。
当たり前のことかもしれないけれど、損得勘定で物事を考えるのではなく、自分の目指す道を揺るぎなくすすみたい。
拓一のように潔く自分の大切な物、人を守りたい。
読み終わり、もう拓一に逢えないと思うと寂しかった。拓一はきっとずっと私の心のヒーローだろう。

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